なんでこんなに「~でないといけない」という書き方が多いのか

韓国側のメディアの記事を読んでみると、『~でないと行けない』との表現がものすごく頻繁に出てきます。今日は、その話にしたいと思います。

どこの社会にも似たような人たちはいると思いますが、以下、韓国での話となります。いつものことですが、私見としての、社会の『柄』の話であり、そこの中の人全員の話ではないし、例外を認めないという意味でもありません。しかし、記事だけではなく、普通の会話でも、同じ表現がびっくりするほど出てくるのも、また事実です。『これだけは譲れない』という強い意志の表現なら、それはそれでいいでしょう。色褪せない心の地図でも光にかざせばいいかもしれません。でも、実際は、そうでもない場合がほとんどでして。

 

いつだったか、拙著やブログにこんな内容を書いたことがあります。「他人の意見を聞く」ことのほとんどは、相手の意見が知りたい、それで何かもっと肯定的な結果を目指す、そんな理由からではなく、「自分の意見に同意するのか同意しないのか」、それが知りたいだけだ、と。この~でないといけないとする表現は、その心理がもっと露骨に現れたものです。そのままよく使う表現になってしまい、記事などにも反映されているわけです。

この場合、「~でなければならない」を破る行為を、「私が無視された」と思ってしまう副作用があります。一般的な生活の中だと、これは相談のときによく現れます。他の国に比べて、些細なこと、例えばほんの少しの年齢差だけでも人間関係の上下が決まってしまうこともあって、普通の話し合いも相談っぽくなったりします(簡単に言うと、先輩面される事が多い)。

 

AがBに相談(っぽいなにか)したとすると、Bはある案を提示しながら、「~でなければならない」とします。まず、Aがそのままにしないで、なにか別の動きをするなら、Bは『Aが私を無視した』と思い、そのときからAとBの関係は一気にぎこちなくなります。で、結果、Aががうまくいかなかった場合、Bはほぼ間違いなくこう言います。「ほら、私の言う通りにしないといけなかったんだよ」。

もしうまくいって、肯定的な結果になったら、Bは「へーよかったね」で終わりです。でも、その『恨(ハン)』は消えません。Aとていつも良い結果だけが出せるはずはないでしょう。数年後、もしAに何か良からぬことがあったら、BはAにこう言います。「こうなると思ったよ。ほら、数年前のあのときだってそうだ~・・」。言うまでもありませんが、数年前のとは無関係な案件だったりします。

 

AがBの言う通りにして、肯定的な結果になったとします。Bは大喜びしますが、その時点でBの『上』としての立場が確実となり、それは大きな『貸し』になります。あまり考えたくないですが、恩着せがましい形で現れたりします。特に、お金の借り貸しのとき(特にBが返済する側になった場合)、などに。

AがBの言う通りにして、それで結果が思わしくなかった場合はどうなるのか。前にも書きましたが、『心情』の登場です。近代国家の法律体系は、『何を思っていたのか』に責任を問うことはありません。具体的な行動に対してのみ、法律が適用されます。しかし、韓国社会には『心情』というものがあり、行動よりも、その際に何を思っていたのか、心(心情)の状態をもっと重要視します。他人に対しては濡れぎぬを着せるために悪用されることが多く、いわゆる『真正性』とやらも、心情に関する要求だったりします。しかし、自分のことになると、『逃げ』として使ったりします。

そう、この場合、Bはこう言うでしょう。『私は、そんなつもりで言ったわけではない』。本心はそうではなかった、ことがこうなるとは思っても見なかった、『こうなるとは知らなかったに決まってるだろう』、『誰が、こうなると予見できたというのだ』、などなど。こういうのを『心情心理』と呼ぶ専門家もします。「だから情が溢れる」と美化する人たちもいますが、「軽い案件ならともかく、法律判断にまで影響する側面があり、前近代的な思考だ」と警告する人たちもいます。

 

副作用が多いにもかかわらず、「~でなければならない」会話は、今でも様々なシチュエーションのもと、様々な場所で行われていることでしょう。(私が日本に移住した)5年前に比べ、何か劇的に変わってないなら、の話ですが。それがそのまま記事の書き方にも現れている、そういったところです。うまく書けませんし、『一因』にすぎないでしょうけど、まぁそういったところです。

 

 

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