おもてなしの意味は『最高の歓待』なのか?

朝から雑記です。すみません。バイデン大統領の訪韓について記事をいろいろ読んでみましたが、これといって目新しい話はありませんでした。やはり、もう共同声明待ち、といったところでしょうか。どんな内容があるのか、具体的な話はあるのか、それともまた『テンプレ』だけか。それは声明が出たらそのときにまたエントリーします。今朝は、そのバイデン氏関連記事に書いてあった内容(内容というか、『訳』)ではありますが、首脳会談とは関係ない話となります。

それら『読んでみた』記事の中、イートゥデイというメディアに、日韓の国賓待遇についての記事がありました。中身は『どれだけお金をつかったのか』がメインで、基本的には、「特に日本は、ものすごい金額を使っている」という内容です。残念ながら、大した内容はありませんでしたが・・その記事に、『おもてなし』を『最高の歓待』と訳した文章がありました。「日本はいつも米国の大統領が来日すると、『おもてなし(最高の歓待)』を行ってきた」という文章です。

 

大統領じゃなくても「おもてなし」なら日本では普通にする(し合う)ものなので、この文章にはものすごい違和感がありました。使う言葉は違うけど韓国でもちゃんとオモテナシをする人や店はあるでしょうし。そこで、ふっと、『そういえば、歓待って韓国語辞典ではどうなっているのだろう?』と気になりました。「歓」と「待(待遇)」だから大まかな意味は分かるけど、辞典の意味はどうなっているのだろう、と。

とりあえずいつも利用しているNAVERの辞典を見てみたら、「歓迎し、心を込めて待接する」となっています。あ、それはそうでしょうね。韓国語で『待接(デジョップ)』は、客などへの待遇の仕方を意味します。日本語訳はそのまま「もてなす」だったりします。ただ、『もてなす』はそれだけでも良いイメージがありますが、デジョップはそれほどでもありません。「デジョップが良いね、また来るよ」とも言うし、「デジョップが悪い、二度と来ない」ともいいます。

でも、そこでまた気になりました。『待接』の辞典的な意味はなんだろう?と。これもまた、いつも当たり前のように使っていた言葉で、辞典を読んでみたことはありませんでした。同じく辞典を読んでみたら、こうなっていました。「相応の待遇をする」、「なにかの料理をだす」。相応というのは、どうやら『相手に相応の』の意味のようです。「料理~」の場合は、いわゆる『お茶も出さずに~』な趣旨で話すときにそう言う場合もあるけど、メジャーな使い方ではありません(これは辞典に載っている内容ではなく、私が個人的にそう思っているだけです)。

 

シチュエーションにもよるでしょうから、別に『完全に間違っている』とも言えないけど、なんというか、毎日のように感じている『おもてなし』とは、どこか違います。定義もそうですが、ソース記事を書いた人からして、『おもてなしは、とにかく最高のものを出すこと』だと勘違いをしている、としか。いわば、心のこもった待遇というものを、「とても良い」、もっと俗な書き方をすれば「とても高い」(記事の内容も、日本は国賓待遇にものすごいお金を使っているという内容でしたし)ものを出す、そう思っていたのではないしょうか。

おもてなしとは、心を込めてもてなすというのは、そんなものではありません。それだと、おもてなしは、最高級のホテルにしか存在できなくなってしまいます。余談ですが・・って、これいつだったか拙著にも書いた記憶がありますが、母は生きていた頃、例えば出前や郵便などで家に訪れた人たちに、母は必ず何かの、些細なものでも、飲み物などを出していました。もう数十年も前のことなので、水以外の飲み物は決して一般的ではなく、中国屋の鉄カバン(中華料理店の料理配達員ことで、当時の韓国では、恵まれていない青年たちの働き口でもありました)の中には、感激する人もいたことを覚えています。まだ子供だったけど、私はそういうものが『もてなす』こと、『デジョップ』であると、そう思っていました。

 

無理があるかもしれませんが、韓国が日本に対して『心がこもっていない(真正性が足りない)』と言うのも、心を『最高、良い、高い』と見ているからではないでしょうか。『もっと高いものが出せるだろう。もっと良いものを出せ。そうでないと、お前の心など認めてやらないぞ』、と。最近ブログでたまに取り上げているし、お陰様で好スタートを切った『日本人を日本人たらしめているものはなにか』にも相応の内容を書きましたが、韓国には『心情』というものがあります。

行動ではなく、相手の『心』を自分で決めつけ、それで人を判断すること。具体的で客観的な行動だけでなく、主観的な『心(相手が何を思っていたのか)』にまで責任を追及すること、そんなものを『心情』と言います。だからこそ、心も『価格』で決めてしまうのでしょうか。

 

話が不必要に長くなってしまいましたが、安い店には安い店なりの、高い店には高い店なりのオモテナシがあり、他人から受けたオモテナシは、また自分で誰かにオモテナシとして返す、それで当然ではないでしょうか。少なくとも私が思っている『おもてなし』は、日本に来て自分で体験した『おもてなし』は、『最高の歓待』に訳するものではありませんでした。歓待に繋げるなら、「心地よい歓待」「ありがたい歓待」ぐらいがいいじゃないでしょうか。少なくとも、記事の趣旨(お金)的な『最高』とは違います。

いままでブログなどで紹介してきた内容・・例えば、『言語体系が崩れることがあっても、とにかく他人から尊敬語が聞きたい』とする話、『人生に価値を与えるもの』として、韓国ではもっとも多くの人が『お金を選んだ』という話し(日本と他の国では『家族と子供』)。そんな結果とつながっているような、そんな気もします。

 

 

おかげさまで新刊『日本人たらしめているものはなにか』を追記しました。帰化を前にして、いろいろと考えてみて、その自分なりの結論を記録した本です。固定エントリー『新刊・準新刊のご紹介』に簡単な内容を綴りました

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 ・様のおかげで、こうして新刊・準新刊のご紹介ができること、本当に誇りに思います。ありがとうございます。まず、最新刊(2022年6月1日発売)からですが、<日本人を日本人たらしめているものはなにか~韓国人による日韓比較論~>です。帰化を前にして考えたことを記録した本です。アマゾンページに書いてある、「私はただ、日本が好きだから、日本人として生きたいと思っています」と、「『お前は韓国人として生まれた』が、『私は日本人として死ぬ』に上書きされた時に見えてきた、日本人になるということの意味」が、本書の全てを表していると言えるでしょう。そんな本です。 ・新刊<「自由な国」日本「不自由な国」韓国 韓国人による日韓比較論 (扶桑社新書) >は、日本滞在4年目に感じた「日常」と、ラムザイヤー教授論文騒ぎにまつわる、日韓の対応の差などをまとめました。2021年発売版に、相応の追記を致した新書版でございます。 ・国に蔓延する対日観、『卑日』について考察した卑日(扶桑社新書)>も発売中です。なぜ今の韓国に、日本に対する『卑』が必要なのか。それを自分なりに考察、率直に書きました。 ・刊として、文政権の失敗を振り返った <文在寅政権最後の暴走>と、自分なりの『日本語』本<日本語の行間~韓国人による日韓比較論 (扶桑社新書)>も発売中です。・刊・準新刊の詳しい説明は、固定エントリーをお読みください。旧「インフォメーション」もこちらに統合してあります。本当に、本当にありがとうございます。書きたいことが書けて、私は幸せ者です。 ・れでは、またお会いできますように。最後の行まで読んでくださってありがとうございます。