(再UP)『政治家が問題で、普通の人は違う』という主張について

本ブログでもよくネタにする、『政治家が問題だ。普通の人は韓国が好き』という主張。この主張に関して、関西国際大学のジャンブスン教授が、朝鮮日報に同じ趣旨の文を載せました。教授はこの前も「K防疫は、決して0点ではなかったけど、いろいろ問題があって結果も思わしくありませんでした」という趣旨の寄稿文を書いたことがあります。

『本当に日本人は韓国が好きだろうか?』というストレートな題の記事で、教授は、韓国のスタンスを『政治家・国民分離論』と呼び(笑)、「それはないですよ、事案そのものが違うじゃないですか」と指摘しています。いわば、日本で韓国関連のもの、食べ物とかドラマとか、そんなものを食べたり見たりする人が増えても、韓国が言う『好き』、すなわち各懸案に対する見解は、また別の話であり、普通の日本人はそれが別々だということを知っている、というのです。私見はちょっと後にして、まずは教授の寄稿文を<<~>>で引用してみます。

 

<<・・(※日本で韓国関連コンテンツに接する機会が増えた、でも各懸案に対する日本の態度は変わっていない、という話の後に)この矛盾を説明するためによく出てくるのが、「政治家―国民分離論」だ。日本国民は韓国に友好的だが、日本政治家たちのために韓日関係が悪化したということだ。果たしてそうだろうか? 現在、日韓の各懸案に対し、日本内では、ほぼ『共感帯』が形成されている。左も右もなく、日本の5大日刊紙が、韓日関係の一次的責任は韓国にあるという立場を社説で明らかにした。左側の野党さえ、まず韓国側が問題を解決しなければならないという。世論調査の結果を見ても、日本国民の3分の2ぐらいは、各懸案について政治家、言論と同じ意見だ。

これを矛盾だと言う前に、私たちにも同じ質問をしてみてほしい。新型コロナ以前の日本を訪問する(※外国人)観光客が約年間3000万人だったが、そのうち700万程度が韓国人だった。コロナ規制が解除され、日本行きの観光商品がものすごく売れている。なぜ好きでないところに旅行に行くのか?

 

ここ数年間の韓国の対応も、日本人にとっては謎でしかない。輸出関連の措置は、国際政治の舞台でよく使う手だ・・・・ところが、韓国は政府の高位関係者が「竹槍」の話まで持ち出しておいて、輸出関連措置は取らなかった。政府レベルで日本に打撃を与えるほどの措置は、事実上、何も無かった。当時、韓国はビール、衣類など消費財に対して市民レベルで運動を起こしただけだ。

日本ビールを飲まないと日本経済が打撃を受けるのか?朝日ビールを生産する旭グループの年売りが20兆ウォンぐらいだが、韓国に輸出される日本ビールを合わせてみるとわずか数百億ウォンだ。しかも2年で元通りになった。素材、部品、装備でも独立したというけど、日本からの素材・部品・装備の輸入は増えるばかりだ。

 

「今回は韓国が本当に強く出て、本当に日本経済に打撃が来るのではないか」と緊張していた人さえ、今は「あ、結局は日本に向けたものではなく、韓国内で自分たちで喧嘩する過程で出てきたスローガンにすぎなかったか」と思っている。まったく理解ができないからだ。 竹槍を持ち出しておいて、何の措置も取らないなんて。

文化に対する私たちの態度も、日本人にとっては矛盾だ。日本のテレビに韓国語が出れば、韓国人は感動する。でも、韓国の地上波で日本語のドラマは見ることができない。韓国グループに歓呼する日本の若者たちに胸がいっぱいだとしながら、韓国では日本語が一言でも入った歌は、ラジオ電波に乗れない。日本でハングル看板を見るのは楽しいとしながら、韓国で「おでん」「寿司」は、浄化の対象だ。私たちは日韓間の文化交流を増やそうと言っているけど、日本からすると、ただ一方的な文化輸出でしかない。

今後も、日本人が韓国の歌や料理をを聞いたり食べたりしても、日韓間の具体的な外交事案に対して日本政府の立場が変わることはないだろう。事案の本質が違うからだ・・>>

 

以下、私見です(ソース記事に以下の内容はありません)。教授の寄稿文でも一部同じ文章がありますが(わざとそう書いただけかもしれませんが)、そもそも、「韓国が好き」の『好き』が、『懸案においても、韓国の意見に同調する』という意味で使われている時点で、すでに『好き』という言葉の使い方を間違えています。これが根本的な問題ではないでしょうか。なんで韓国社会は「韓国ドラマが『好き』な人が多いから、政治家とは違う」という『誤謬』にハマってしまったのか。

韓国社会は、何か同一の存在に対し、『~が好き』と『~は好きではない』が共存する見方を理解できないでいます。例えば、『韓国ドラマはよく見るけど、韓国の対日観ってどう見てもおかしいよね』という意見は、韓国にとっては、ただの矛盾にすぎません。二分法でないと、事案が理解できないとでも言いましょうか。総理が『日韓関係改善待ったなし』と言っただけで、韓国側は『そう言っておいて、なんで首脳会談に応じないのか』と怒ります。それも同じ現象です。

 

数年前、鬱陵島などを視察するために訪韓した佐藤正久議員など3人が、韓国で入国拒否されたときのことです。3人は空港の部屋(詳しくなんというのか分かりませんが、こんな場合に待機する部屋)で、食事に、ビビンバを注文して食べました。あのとき、韓国側のメディアからは、「なんで韓国料理を食べるのか」「理解できない」という記事が結構目立ちました。彼らは韓国が好きではないはずなのに、なんで韓国料理を食べるのか、それが理解できなかったのです。

そうですね、長くなりすぎましたが・・いまさらですが、一行で終わる内容でした。「『政治家が問題で、普通の人は韓国が好き』を、『政治家が問題で、普通の人は韓国が好き、でなければならない』と書くと、しっくりきます」。

 

 

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