明日は韓国で光復節と言う、8月15日です。「主権を回復した」という意味で、光復節になったと聞きます。ただ、「光復(光復した)」という言葉そのものが韓国語の一般的な表現ではなかったので、一応8月15日を光復節とは呼んでいたものの、それはその日の固有の呼び方(固有名詞?)で、「光復した」と言う人はそういませんでした。じゃ、日本で言う「終戦」と同じ意味の言葉は何だったのかと言いますと、90年代まで、光復ではなく『解放』を用いるのが一般的でした。古い記事を調べてみると、「解放光復」という謎の単語もヒットします(笑
それが、金泳三(キムヨンサム)大統領の頃、『解放』は受動的で、~してもらったというニュアンスが強いから、これからは『光復』したということにして、能動的に勝ち取ったというニュアンスを強調しよう、ということになりました。当時、専門家たちも「趣旨が微妙すぎる」「『解放』のほうが単語の意味的にも合っている」と結構反対したと聞きます。ちなみに、光はともかく、『復』ってそこまで能動的な意味かな?とちょっと疑問です。
しかし、この「能動的」の部分、私たちがやったのだ!とするところの『受け』がかなりよく、しかも、「解放」は、北朝鮮側に同調する人たちが好んで使う言葉だ、という主張が広がって(本当にそうなら、なんで軍事政権が放っておいたのか疑問です)、それから終戦のことを韓国では「光復した」と言うようになりました。いまでも高齢の人たちは『解放』と言いますけど。せっかくですから、1995年2月9日ハンギョレ新聞の記事(古いのでソースページはありません。ネイバーの記事アーカイブからとなります)から<<~>>で引用してみます。
<<・・国権の回復を意味する抽象的な『光復』なのか、解き放たれて自由になった状態を意味する『解放』がいいのか、疑問に思う人が多くなった。政府が、学術書籍や一般的にも多く使われる『解放』ではなく、わざわざ『光復』を使いながら、こんな疑問が増えた・・・・これからは光復が公式用語として使われるようになる。しかし、学者たちの主張は違う。イウォンスン国史編纂委員長は、「『精神史』を重視するなら光復になるだろうけど、『事実史』を重視するなら、解放がもっと正しい表現になる』と話した。関係者たちによると、政府は公式的に諮問を依頼したことなど無い(ハンギョレ新聞)・・>>
精神史(直訳です)ってなんだ・・とちょっとツッコみたくなりますが、なんとなく趣旨は伝わってきます。で、ここから本題ですが、31節とともに、韓国大統領の最重要演説とされる、光復節演説。明日、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の初・光復節演説ですが、そこで何を話すのか、いくつか記事が出います。記事によって少しずつ内容が異なりますが、日本関連で大まかに共通するのは、「日本にも呼応を求める」とする内容です。日本『も』動け、としてきた、今までのパターンから変わらないという意味です。また、ニュース1の報道によると、「19日に現金化関連の判断が行われるので、15日に何を言ってもあまり意味がない」、「支持率からして、もう尹大統領が何を言っても、日本はあまり反応しないのでは」などの話も出ている、とか。つい3~4ヶ月前まで、もう日本との関係改善は当然だとしていた韓国メディアですが・・ずいぶんと書き方が変わったものですね。以下、日本関連部分だけ、引用してみます。
<<・・尹大統領は候補時代から韓日関係改善の必要性を強調してきた。パク・ジン外交部長官も先月、日本訪問過程で岸田文雄首相、林芳正外務相などと会い、両国関係改善の「当位性(※当然さ、応当さ)」に対する共感を確保することに注力した。また、パク長官は先に訪日過程で現金化問題解法模索のための民官協議会の発足及び協議会の議論内容を日本側に説明し、それに対する日本側の「呼応」を要求した。韓日両側は、最大の葛藤県案である現金化問題と関連して、いったん「早急な解決が必要だ」という認識を共にしている状況。これにより、尹大統領の今回の演説も、韓国側の解決策の取り組みと、それに対する日本側の呼応の必要性、そして「未来志向的な韓日関係」構築に関する内容が含まれるものと見られる。
しかし、現金化に対する韓国裁判所の最終結論が、早ければ19日の前にも出ると予想されており、「尹大統領の光復節演説の内容が、今後の韓日関係に及ぼす影響はそれほど大きくないかもしれない」という観測も出ている。一部では、尹大統領の国政遂行に対する国内世論支持率が20%台に留まっているという理由で、「これでは、日本側も動かないのでは」という展望を出している(ニュース1)・・>>
本ブログでも何度も取り上げましたが、この「日本『も』」というのは、「この件は、国際法に違反したとか、そういう問題ではない」という意味になります。日本側の主張は、現状は明らかに国際法違反状態であり、それを是正する責任は、その『違反』の主体、韓国にあるというものです。言い換えれば、感情的な基準ではなく、国際法たるハッキリした基準で『合』なのか『違』なのかを決めるべき問題である、というのが日本の主張です。
韓国側の「日本『も』呼応を」、「日本『も』誠意あるリアクションを(パクジン長官がよくこのセリフを用います)」などは、共に努力しようという意味ではありません。一見そう見えるかもしれませんが、実は、これは両方に責任があり、決して国際法的に判断する問題ではないと日本も認めてほしい、という意味です。すなわち、日本側の主張の『基準(国際法)』そのものを、韓国側に有利な基準(もっと主観的なもの)に塗り替えてしまおうというのです。
しかし、ここで「当位」が出てくるのがまた、中国そっくりです。中国側が『応当』という言葉を使ったとして、韓国側のメディアが問題にしている、そんなエントリーがありました。当位というのも、『それが正しいから、当然、そうなるべし』という意味です。同じですね、結局は。
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