韓国、主に野党の処理水関連対応について、ある政治学博士の指摘

まず、更新が遅くなって申し訳ございません。韓国では、豪雨が大きな話題になっていますが、それ以外だと相変わらず処理水放流関連のニュースが続いています。ですが、率直に似たような内容ばかりで、ちょっとユニークな記事を紹介したいと思います。「ザ・スクープ」に載っている政治学博士の寄稿文です。最近の『怪談』関連の内容で、「この部屋にはサイなどいないというけど、でも私の頭の中にはいるのに本当にいないと言いきれますか」という話です。要するに、証拠が無くでも自分の信じたいように信じ続ける人が多すぎる。悲しいことだ、という趣旨です。個人的に書きたいことはもう少し後にして、まず<<~>>で引用してみます。

<<・・「人間は考える葦である」という言葉を残した17世紀フランスのパスカル(Pascal)は、「人間は証明されたことを信じるのではなく、自分の信じたいように信じる」という言葉も残した。彼の目に、人間は考え(信仰)をするにはするが、その考えは論理的ではなく、葦のようなものだったのだろう。20世紀イギリスとオーストリアの代表的な論理哲学者だったバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)とルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)が、このような会話をしたと言われている。二人とも実証主義哲学の最高峰だ。

 

ある日、ラッセルと彼の弟子でもあったヴィトゲンシュタインが、ある宴会場で論理哲学的問答をした。ウィトゲンシュタインがこう言った。「先生、この部屋にサイがないことを証明してみませんか?」。ラッセルが答えた。「(テーブルの下を覗いて、部屋の隅々まで見回して)この部屋の中にサイがないのは確かだ」。ウィ「もし透明なサイや目に見えないほど小さなサイがある可能性は本当にないのでしょうか?」。 ラ「その可能性はない」。ウィ「そうかもしれませんが、私の頭の中には今は明らかにサイがあるんですよ」

 

「証拠の不在がそのまま事実不在の証拠となるわけではない(Absence of evidence is not evidence of absence)」という、頭がいたくなる論証法の起源に該当する問答である。神が存在するという証拠がないと、それが神神が存在しない証拠になるわけではないという、神学的論理にも用いられる論証だ。神の存在を信じたい人は、神が存在するという証拠がなくても神を信じるだけだ。結局そのように人々はパスカルの言葉のように、証拠の有無にかかわらず自分が信じたいことだけこだわって信じる・・

・・部屋の中にサイがあると信じたい人には、部屋の中をいくら見回してもサイは見えなくても、それがサイがないという確かな証拠にはならない・・・・私たちも毎日毎日「証拠の不在がそのまま、その事実が存在しない証拠になるわけではない」というヴィトゲンシュタインの頭いたい論理学の中で生きている。めまいがする話だ。ある人が共産主義者だという証拠がないからといって、それがその人が共産主義者でないという証拠ではないので、責めても大丈夫だ・・

 

・・そんなふうに、処理水が健康に問題を及ぼすという証拠がないからって、それが安全だという証拠にはならないと主張している。ヤンピョン高速道路事業に権力による不正があったという証拠がないからって、その事業に権力の不正がないという証拠にはできないと、ずっと言われても仕方がない。部屋の中に目に見えるサイがないから、この部屋にサイがないことは確実だと、いくら説得しても、私たちの頭の中にすでに存在するサイは消えない。悲しいことだ(ザ・スクープ)・・>>

さて、それですが・・本当に「その人の頭の中にサイがいるのでしょうか?」。この前、放流反対決議案を出した人が国会の本会議中に北海道旅行計画メッセージをやりとりしていた、という記事を紹介したことがあります。また似たようなことがありました。韓国経済の報道によると、反対デモを行うため訪日した共に民主党の国会議員たちが、日本航空を利用した、とのことでして。この件で与党側から「日本航空のビジネス席は寿司が機内食で出るのに、それ食べましたが?」と疑問を提起しました。大手メディアも記事を出すなど、またまた騒ぎになっています。ちなみに共に民主党側は「議員がエコノミーに、補佐チームがビジネス席に座った」と話しました。

 

信じ続けること。これは、信仰などにおいて重要なことであり、いくらでも肯定的に活用できるものでありましょう。パスカルは「自分が信じたいように(ほぼ間違いなく自分に有利に)信じる」のを問題だとしているようですが、韓国の日本関連の案件は、そんな哲学的なものではありません。「頭の中にサイがいると嘘をついても、誰も気づかないだろう」と思っていること。そこがもっとも問題でありましょう。これが、ウィトゲンシュタイン本件以外にも、韓国の対日観すべてがそうではないでしょうか。 次の更新ももう少し遅くなると思われますが、夕方前には更新致します。

 

 

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