韓国の国史学教授「もう生徒たちは漢字で書かれた史料が読めません」

久しぶりに漢字教育に関する寄稿文がありました。併合時代に民族主義から始まった文化運動が、「ハングルだけ使う」というポピュリズムとなって、いまの教育に大きな影響を及ぼしている、というのです。有名な国史学教授が、「生徒たちが、漢字でできた史料を読むことができなくなっている」となげいていた、とも。法律新聞というメディアです。寄稿文を書いた人は、「これで日本、中国と論争ができるのか」としていますが、どうせ史料の『解釈』が異世界的な場合が多いので、別に漢字が読めるようになっても変わらない気もします。また、昔の史料が読めなくなった(異論が出せなくなった)ことを肯定的に評価する人たちもいるのでは。以下、<<~>>で引用してみます。

<<・・なぜ私たちは漢字を使わないでいるのだろう。韓国社会全般に広がったポピュリズムのためではないだろうか。ハングルだけにして、漢字はやめるという社会的気流は、併合時代の民族主義文化運動の一部として本格化した。漢字はすでに文化の核心だったのに、それを私たちの文化ではないとか、なるべく韓国文化から外すとか、それはバランス感覚を失っているだけだ。このような動きは1948年10月9日、「ハングル専用に関する法律」で法制化され、「大韓民国の共用文書はハングルで書く。ただし、しばらくの間は必要なとき漢字を併用できる」と規定した(※寄稿文筆者によると、その10月9日がそのまま『ハングルの日』になりました)・・

 

・・2005年には代わりに国語基本法が制定され、「公共機関等の公文書は語文規範に合わせてハングルで作成しなければならない。ただし、大統領令で定める場合には括弧内に漢字または他の外国文字を書くことができる(国語基本法第14条第1項)。それから若干改正され、現在はこうだ。「公共機関などは公文書などを一般国民がわかりやすい用語と文章で書かなければならず、語文規範に合わせてハングルで作成しなければならない」(他の条文は前と同じ)。これに伴い、同法施行令は、公文書作成時に括弧内に漢字や外国文字を書くことができる場合を「意味を正確に伝えるために必要な場合」と「難しいまたは見知らぬ専門語または新造語」と規定した (同法施行令第11条)・・

・・多くの方々が国語とハングルを混同する傾向がある。ハングルは国語を表記する私たちの固有文字、つまり国語表記のための手段であり、国語自体ではない。国語を民族文化の発展、継承のために使用して発展させたいというのなら、その文化のために国語があるものであり、国語のためにハングルがある・・・・国語基本法のほぼすべての用語も、漢字だ。これこそ、漢字が国語の根幹であるという事実を証明している。著名なソウル大学国史学教授が、国史学生徒たちが漢文はおろか漢字を知らず、国史の史料が読めないとなげくのを聞いたことがある。国史研究能力が弱くなると、誰が私たちの文化を受け継いで子孫に伝承できるというのか(法律新聞)・・>>

 

1948年に公文書などをハングル専用にするという法ができましたが、個人的に、漢字とハングルを一緒に使うこともまた、『日本がしたこと』と認識されていたのではないか・・と見ています。いまもそうですが、当時は特に、なんでもかんでも『日本が~しているから、やめるべきだ』とする意見が溢れていました。1948年7月3日の東亜日報によると、「朝鮮半島」と呼ばれているのも日本によるものだ、だから半島という呼び方をやめるべきだとする主張まで出ていました。韓国という国が出来る直前、いろいろ法律などを制定していた国会で、「朝鮮半島と呼ぶのをやめ、パンド(版圖)と呼ぶことにしよう」、との主張がありました。その理由は簡単で、「日本は、朝鮮人を半島人と呼んでいた。そのせいで朝鮮半島と呼ばれるようになったのだ。だから名称を変えるべきだ」です。しかし、「地理的に3面が海に囲まれているから、半島と呼ばれているのです」と丁寧に説明できる人もいて、この案は無かったことになりました。こういう流れの中、ハングル専用法なども出来たのではないか、と。

 

 

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