韓国メディア「子にお金を要求する親の存在、本当に『個人間の問題』なのか」

データが無いので、どれだけの規模なのかはわかりません。しかし、『個人間の取り引き』の債務についても、調査が必要だとの主張が出ています。せめて規模は把握しておく必要がある、というのです。まず、家を借りるための預り金である傳貰(ジョンセ)も、1000兆ウォン『位』という話はあるけど、個人間の取り引きという理由で全体規模は把握されていないので、それについての調査が必要である、と。また、これは本ブログでも何度か取り上げましたが、個人的な関係を名分にしてお金を借りる人が多い(とされている)、などなどで、規模把握の必要がある、と。

ネットの時代なので、事例がネットで話題になり、たまにニュースになることはあります。たとえば、飲食店をやっているある人が、近くに食べ物に困っている人がいたので、その人に食べ物を分け与えました。すると、その相手は「お金がいい」と金を借りに来て、ことわると「なんで今回はだめなのか」となかなか帰らなくて、営業に困っているという話、などなどです。そんな中、クッキーニュース(CBS)が、子にお金を要求する親と、ことわることができずにいる青年たちの話をシリーズ記事にしました。個人間の取り引きとされる案件にここまで記事を出すのは、韓国メディアでは珍しい記事です。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・経済的要求は執拗である。クッキーニュースが出会った、両親の金銭要求にくるしんでいる青年たちは、電話に出ないと、お金を渡すまで家、または職場に親が訪れてくるという。Aさんの父もそうだった。A氏が働くマートに行って、息子の給料を前もって渡してくれと上司に話したこともある。預金も積金も全部わたすと、次はローンを組んで、それを渡してくれと、名義も渡してくれといわれる。相談事例によると、事業者名義だけでなく、子の名前で携帯電話を開通し、それで別の融資を受けたりする・・・・(※青年たちは)「今まで両親が育ててくれた恵みを考えれば、お金を差し上げなければならないのが正しいでしょう」、「私にお金がもっとあったらこんなことで悩まずに済むのに、申し訳ありません 」 などの文を残した・・

 

・・パクヨンシン、インハ大学教育学科教授などが2017年に発表した論文でも、子供たちは両親を逆らうときに同じ反応を示す。研究に参加した小・中・高・大学生の72.7%が、親の意見に順応しなかったり、経済的に支援しない状況を考えたとき、申し訳なく、正しくないことだと思うと答えた。家族主義も原因になっている。家族コミュニティーを個人より優先する文化だ。クッキーニュースは昨年10月17日から31日まで青年104人を対象にアンケート調査を行った。「両親に大金をあげることができるのか」という質問に、全体の回答者の65.4%が「与える」と答えた。お金をあげる理由については、「子としての道理をまもるために」という回答が最も多かった。

青年相談団体「青年の庭」のイヨンウ チーム長は、両親の金銭要求に応じなかったことで、家族コミュニティーでうらぎりものにされてしまった青年に何人も会ったことがあるという。同チーム長は「親が、親戚を動員してその子を責めるように仕向けたりする」、「『自分一人だけ生きようとする』『なんでこうも利己的なのか』とか、そんなレッテルを張りまくるやり方だ」と話した(クッキーニュース、シリーズニュースその5)・・>>

 

個人的に、逆の場合がもっと多い(親が金を貸してくれないと、子が親を責める)ケースが圧倒的に多いのではないか、そんな気もします。ついこの前にも、親がお金をくれないという理由で、結局は家ごと全焼する事件がありました。ただ、クッキーニュースの記事、趣旨もそうですが、その最初に書いてある「沈清伝」の話は、たしかにそれはそうだとうなずけるものでした。これは最古の民話とされるものを、朝鮮人代に小説にしたものです。私の世代では、教科書にも載っていたと記憶しています。

娘「沈清」と一緒に暮らしている沈(シム)氏は、目が見えず、いつも娘ばかり働くことを悲しんでいました。そんなある日、米300石を捧げると目が見えるようになるという話を聞いて、「じゃ、300石を捧げます」と僧侶と約束します。でも、用意できず、悲しむ沈氏。それを見た娘の「清」は、ちょうどいけにえを探す人たちが街に来ているという話を聞いて、自らいけにえになる道を選び、そのかわりに300石の米をもらい、父に渡す・・という内容です。結果的には全員生きて、目も見えるようになってハッピーエンディングですが、このストーリーには問題が一つあります。『いったい、何の度胸で300石を捧げると約束したのか』です。自分がそういうと、娘がなんとかしてくれると思ったのではないか、と。クッキーニュースは、「300石の約束を聞いた清は、どんなことを思ったのだろうか」とし、記事内容とも繋がる内容ではないのか、としています。

 

 

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