マックマスター大学韓国人教授「日本の紙幣には近代化の人たちが、韓国の紙幣には朱子学者たちが描かれている」

去年8月12日の記事ですが、遅れて紹介することになりました。ソンジェユン、マックマスター大学(カナダ)教授の寄稿文で、朝鮮日報に掲載されました。韓国の、中国哲学をあまりにも観念的に見ていることと、特に朱子学『だけ』に集中しすぎている側面を指摘する内容が基本ですが、教授は、それがよく現れているのが紙幣だとします。他の国にも哲学者が紙幣に描かれたことはあります。フロイトとデカルトです。しかし、この二人は世界的な影響を及ぼした人たちで、哲学に興味がない人でもある程度の影響、少なくとも『我思う故に我あり』や『リビドー』などは聞いたことがあるでしょう。

でも、教授は、韓国の紙幣に描かれている李滉(イファン、1501~1570年の儒学者)と李珥(イ-イ、1536年~1584年の儒学者)はどんなことをしたのか、韓国の人たちは、どんな影響を受け、どんな側面を尊敬しているのか、それがよくわからないというのです。教授は、寄稿文の題で、こういうのを漠然とした慕華思想(中華に憧れる)の現れだとしています。逆なのが日本で、徳川家康や豊臣秀吉など大きな足跡を残した人が他にもいるのに、紙幣に描かれているのは新しい時代を開いた人たちである、と。今の日本は、どちらかというと江戸時代というよりは明治時代の延長であるし、その時代を開いた人たちを紙幣に選んだのは、ずっと自然なことに見える、とも。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・もともと東アジアの知識人たちは、先例を探求して新しい社会・経済的制度を立案し、間違いを批判し、政府の問題を指摘する経世家たちであった。しかし、現代の中国哲学は、彼らを修道士のように心を勉強し、宇宙の摂理だけを考えた、観念の哲人のようにしている。問題は、その範囲の狭い「観念一辺道の中国哲学」が、1960-70年代台湾では国民党政権、今の中国では中国共産党の理念を裏付けるイデオロギーとして作用しているという事実だ・・・・ほとんど取り上げられていないが、「観念一辺道の中国哲学」が韓国社会に及ぼした影響と副作用についても、もう取り上げるときが来た。観念一辺道の中国哲学は、韓国社会でも中国文明自体に対する無分別な幻想を生み出し、東アジア伝統に対する理性的で体系的な批判自体を防ぐ、古い理念の盾の役割を果たしてきたからだ。中国哲学の様々な分野の中でも、特に朱子学が最も課題だ。韓国は今も紙幣に朱子学者を二人も載せている世界唯一の国だからだ。

 

1975年以来、大韓民国造幣公社は1000ウォン札、5000ウォン札紙幣に李滉と栗谷李珥の肖像を載せてきた。いつだったか、韓国に行ってきたアメリカ人科学者は、その点が本当に印象的だったとし、「世界で最も哲学的な貨幣(philosophical currency)」と話したことがある。それから彼は尋ねた。「今もイ・ファンとイ・イの哲学思想が韓国人の精神世界に大きな影響を及ぼしているのか? それでは、二人は果たしてどんな哲学思想を論じてきたのか?」。外国人としては当然の、良い質問だ。大きな影響を及ぼす人物でなければ紙幣に載せる理由がない。紙幣に載せるほどなら、二人の哲学は深い洞察と独自の思想を込めていいるはずだ。韓国とは異なり、他の国の紙幣には哲学者ではなく、通常、政治指導者や近代の著名な人物が載っているためだ・・

 

・・(※しかし、それに答えられる人はいない、とした後に)日本と比べてみると、イ・ファンとイ・イの肖像にこだわる韓国紙幣の特異さがさらに顕著になる。日本紙幣1000円札には著名な細菌学者の野口英世(1876~1928)、5000円札には女性作家の樋口一葉(1872~1896)、1万円札には啓蒙思想家の福沢諭吉(1537~1598) の肖像画が載っている。3人とも1868年明治維新以来、西欧近代文明を吸収して個人的成就をした近代知識人たちだ・・(※近代化以前の時代にも徳川家康など英雄がいて)・・日本のどこに行っても博物館のように江戸時代の遺跡がある。それでも近代の知識人を紙幣に選定した理由は何だろうか。

 

江戸時代日本は約270の藩に分かれていた。明治維新以後、日本はそれらを県とするする過程を経て、近代国家に再誕生した。いまの日本は江戸時代ではなく明治時代の延長であり、現代の日本の精神は明治時代以降、西欧近代文明を吸収しながら、異なる新しい段階に突入したものなのだ。新しい国の紙幣に新しい時代精神を象徴する新しい人物を載せるのは何も不思議ではない。過ぎていった王朝の人物だけが載っている韓国の紙幣が不思議だ。なぜ韓国の紙幣には16世紀朝鮮の哲学者たちが載っているのか。イ・ファンとイ・イがそれだけ精神的師匠として尊敬されているからだろうか。近代には尊敬されるほどの人物が全くいないからだろうか。そうでなければ、イ・ファンとイ・イの哲学思想を復興させ、道徳性と倫理意識を啓発しようとする国家の意図なのだろうか(朝鮮日報)・・>>

 

 

おかげさまで、新刊「韓国の絶望、日本の希望(扶桑社新書)」が発売中です(2023年12月21日、アマゾン発売日)。詳しくは、下記のお知らせをお読みください。ありがとうございます
・以下、コメント・拙著のご紹介・お知らせなどです
エントリーにコメントをされる方、またはコメントを読まれる方は、こちらのコメントページをご利用ください。以下、拙著のご紹介において本の題の部分』はアマゾン・アソシエイトですので、ご注意ください。

  ・様のおかげで、こうして拙著のご紹介ができること、本当に誇りに思います。ありがとうございます。まず、最新刊(2023年12月21日)、<韓国の絶望、日本の希望(扶桑社新書)>です。若い人たちと高齢の人たち、女性と男性、「私たち」と「それ以外」、こっちとあっち、私と他人、豊かな人たちとそうでない人たち、様々な形で出来上がった社会の壁、「分断」に関する話で、特に合計出生率関連の話が多めになっています。・新刊<韓国人として生まれ、日本人として生きる>(2023年7月29日)も発売中です。2023年、まさに心願成就、帰化できました。「韓国人として生まれた」より「日本人として生きる」を上位の概念にしたのはなぜか。なぜ名前を変えなかったのか。一つ一つ、自分なりの持論を綴りました。 ・刊<韓国の借金経済(扶桑社新書)>、<日本人を日本人たらしめているものはなにか~韓国人による日韓比較論~>も発売中です。・しい説明は、固定エントリーをお読みください。・当にありがとうございます。書きたいことが書けて、私は幸せ者です。それでは、またお会いできますように。最後の行まで読んでくださってありがとうございます。