韓国もハンコ文化がある国です。普通は図章(ドジャン、圖章)と言いますし、印鑑(登録)制度もあります。いつだったかな。なにかの手続き関連で印鑑の話が出たとき、「韓国にも印鑑制度がありますか」というコメントを読んだことがあります。個人的に、あって当然だと思っていたので、ちょっと意外でしたが・・調べてみたら、日本、韓国、台湾にしかないとのことで、その方が意外でした。こういうのも世代によって感覚が異なるかもしれませんが、私は「印鑑はあるのが当たり前」派ですので。
日本で住むための住民登録、印鑑登録のときに感じたのは、「取り扱いそのもの」が韓国より慎重である、ということでした。そして、印鑑登録証というカードを頂きましたが、これは韓国では見たことがありません(これもまた、最近は韓国でもこういうのを普通に受け取るのかもしれませんが、私は受け取った記憶がありません)。全般的に、日本のほうが慎重なアプローチを心がけている、そんな気がしました。で、数日前(10日)のものですが、京郷新聞が韓国、特にソウルのドジャン文化の流れを記事にしました。ソウル市が「ソウルの印章舗(印舗)」という資料を刊行しましたが、その内容を紹介する内容です。ちょうどソース記事にしたいと思います。
他の多くの、実に多くの文化がそうですが、個人がハンコを使う、いや使えるようになったのは、1914年、併合時代からです。1912年にはハンコを作る印版業関連の法規も整備された、とのことでして。こういう話が出てくると韓国メディアは揃いも揃って『統制のため』とします。鉄道を敷いたのも、道路を整備したのも、法規を整備したのもそうですが、ハンコを使うようにしたのも、経済を自分のコントロール下に置くための措置にすぎない、というのです。本当にそれだけのものなら、なんでいままで使っているのでしょうか。印舗を経営している85歳の方は、「併合時代から印鑑が必要になったので、多くの人たちが印鑑を求めた。各種書類に『本人を証明するための』印章(ハンコ)が必要になったからだ」と話しています。以下、<<~>>で引用してみましょう。
<<・・特別な階層しか持てなかったドジャン(※図章、ハンコ)は、都市化とともに広がり、庶民生活ともともにあった遺産だ。ハンコで本人などを確認するための印鑑は、日本、台湾、韓国だけにあるユニークな文化でもある。「ソウルの印章舗」を読んでみると、個人がハンコを使うようになったのは併合時代からだ。朝鮮時代の印章は、王のセボ(璽寶、玉で作った王の印)と、官庁で使った官印、個人が持った私印があった。王の名で行われる文書や外交文書の印章は玉で作った璽(セ)と、金で作った宝(ボ)があった。 個人が使用していた印章で私印は、書画に押す「落款(※作品に残す作家の印)」、書籍に使う「蔵書印」だけが存在した。
身分に関係なく、誰もが印章を持つことができるようになったのは、併合時代からだ。日本人の経済活動を保護し、朝鮮での経済活動を統制するための手段として、1914年に印鑑証明規則を頒布、導入したのだ。これに先立ち、1912年には印版業取締規則を制定し、印版業を初めて制度的に規定した。「翡翠党」を運営するイ・ドンイル氏(85)は、「併合時代からその頃から一般商業で印章が始まった。印鑑規則が生じ、すべての書類において印章で本人を証明しなければならなかったためだ。その時から印舗ができた」と話した。
国家レベルで印鑑制を実施したことで、印章を専門的に製作してくれる印舗ができたのだ。1974年には国家技術資格法施行で、印章工芸技能士(1級・2級・技能士補)資格試験制度が導入された。印業取締規則は1999年、印章業法が無くなり、87年ぶりに消えた。印章に関する現行法は印鑑証明法が唯一である。印章工芸技能士も、受験需要の減少で2004年に廃止された(京郷新聞)・・>>
面白いのは、朝鮮戦争の戦後復興でソウルへの人口流入が急増したこともあって、印舗の数も急激に増えましたが、そのときに印舗を運営、または働く人たちは、幼いときから漢字を学んでいたなど、かなりの教育水準を持っていた、とのことでして。ハンコを作るためにはそういうことも必要だったのでしょう。時期からして、併合時代に教育を受けた人たちでしょう。こういう部分からも、いろんなものが見えてくる気もします。最後に、私も誤字が多い人なので恐縮ですが・・記事は「取締(チュイ チェ)」を「チュイージェ(多分、取帝?)」としていますが、正しくは「取締規則」です。政府資料からも確認しました。
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