日本、プリツカー受賞者数で世界1位(9人)に・・韓国メディアはどう報じているのか

日本の建築については、韓国でも高く評価する人が少なくありません。つい数日前にも、韓国日報にダングク大学ジョンテジョン建築学教授が韓国日報に「家というのはその概念、哲学において『小さくても大きな』存在であり、必要以上に商品としか見ていない私たちとして学ぶべき点が多い」という記事を書いたりしました。ちなみにこのジョン教授、歯科医師出身です(笑)。あのときは他に書きたいことがあってスルーしましたが・・それから二日後に、日本の山本理顕さんがプリツカー賞を受賞しました。プリツカー賞は、建築界のノーベル賞と呼ばれています。

日本は9人目で、受賞者数で世界1位になりました。2位は米国で8人です(2人共同で受賞したことがあるので、受賞回数だけだと日米共に8回です)。韓国なら1日中すべてのメディアが宇宙規模でさわぎながら報じているだろうと思うと、日本は静かだな、と改めて思いました。案の定、またもや多くのメディア、たとえばソース記事の韓国経済などが0対9がどうとかと「うわあぁ」記事を出していますので、一つチョイスしてみようかと思います。特に、その中でも複数のメディアが、「山本理顕という名前を知っている人、多いのではないか」としながら、氏が前に韓国のマンションをデザインしたときのことを取り上げています。

 

2011年~2014年、韓国首都圏に2箇所に山本理顕さんが設計したマンションが建ちましたが、透明な部分が多くて、プライバシー関連でかなりの不評でした。当時、批判的な記事を載せたところも少なくありません。高く評価されるデザインが、日常での使用においてはそうでもないこと、よくあるとは思いますが・・それならなんでデザイン段階で言わなかったのか。もともと透明パーツをよく用いる山本理顕さんだと知らなかったのか、そんな話も出ています。そのマンション、当時(2011~2014年)、韓国のマンションとしては珍しく売れ残りました。そんな人が、建築界のノーベル賞を受賞したわけですから、気になったのでしょう。

先も書きましたが、優れたデザイン哲学だからといってその地域の価値観とかならず一致するわけでもないし、日常での使用はまた別の話だったりしますが・・やはり「ノーベル賞(と呼ばれるもの)」関連だから、でしょうか。この部分を気にする記事が多く出ています。本エントリーで主に取り上げたいのは、『文化』そのものを範囲にした内容です。文化といっても複雑な話ではなく(それとも、これこそ複雑だと言うべきかもしれませんが)、『公共施設のデザインは、政治家などの要求で、『早く、かっこよく、安く作れるように』変えられる』とのことでして。記事が多く出ています。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・フリッツカー賞の受賞はしばらくはできそうにないという評価だ。社会的に意味のある建築物の大部分は公共建築であるが、韓国の公共建築の慣行は混乱しているというのが国内・外の一貫した評価だ。ある建築家は、「ソウルのある区役所の建築公募展に私の設計が当選したことがあるが、担当課長が『区庁長の好みに合わせて設計を変えてほしい』と言ってきて、わけがわからなかった」としながら、「政治家や地方自治体長の業績になれるように、見かけをかっこよくするとか、無条件に安く、素早く建ててほしいという要求が多い」と話した。根本的な原因は、「日本とは、建築を眺める哲学が異なる」(ジョンジングク漢陽大学建築学部名誉教授)との分析が多い。華やかな建築物は贅沢だと思っていた儒教の伝統、早く、たくさん建てることが目標だった高度成長期などの影響で、まだ建築を芸術として見ていない社会的雰囲気があるのだ。

二つ目は、韓国建築界特有の閉鎖的な雰囲気だ。教授は「日本建築家たちはグローバルネットワークを形成するのに積極的で、互いに押し寄せ、また引き寄せる雰囲気が強い」とし「一方、韓国建築家たちは世界舞台でのネットワーキングとトレンド吸収能力が弱いうえ、学縁(※同じ学校出身)だけが交わる傾向がある」とした。ユヒョンジュン建築家は、「プリツカー賞は単にある建築家が受ける賞というよりも、その国の文化レベルに与える賞だと見ても構わない」と話した(韓国経済)・・>>

 

儒教といっても、ものすごく大きな屋敷に住む「学者」さんが多かったと聞いています。華麗なものを贅沢とするより、保守的なデザイン以外のもの、言い換えれば『中華的なもの以外』を評価しない風潮があったと書いたほうが、説得力があるのではないか、そんな気がします。私見ですが、儒教だけでなく、お寺なども、日本とは異なり、色鮮やかにしようとして、結果的にパッとしないものが結構多いですから。個人的に、日本の街並みを歩いていると(最近はバスの窓から見ることが増えました)、デザインもいいですが、『色』もまた、すごく心地が良いです。落ち着いていると言うか、なんというか。

 

 

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