韓国メディア「華麗な外観と価格だけを重視しては、プリツカー賞はもらえない」

オンシーズン(?)でもないのにプリツカー賞関連記事があったので、読んでみました。3月、日本の山本理顕さんがプリツカー賞を受賞しました。日本人としては9人目です(世界最多記録)。10月、その山本教授(横浜国立大学名誉教授)が、韓国の光州広域市を訪れ、都市デザインについて講演を行いました。その影響なのか、ニュース1(10月20日)、アジア経済(11月19日)、大田日報(11月20日)などが記事を載せています。ちょうど光州市は「人のための都市」としてのデザインを目指していくと宣言しており、そのために「社会のための建築」で有名な山本教授に講演をお願いしたわけです。ニュース1によると、「山本理顕教授は、華やかな見た目の建築ではなく、共同体の概念を追求する社会的建築家だ。低出産・高齢化・人口減少など現代社会の問題を解決し、家族と個人が地域社会と繋がる共同体回復を哲学とする」、とのことです。

で、個人的に面白かったのが、2つの記事で逆の見方をしている点です。山本教授や日本の建築が素晴らしいという点においては同じですが、大田日報で建築工学部教授は『私たちは儒教思想の影響で、華麗な姿を贅沢すぎるものとしてきた』のが、韓国がまだプリツカー賞を受賞できないでいる一つの理由だとしています。しかし、アジア経済は、『社会的な建築物といえば公共建築だが、私たちは価格競争と華麗な外観だけを追求している』としています。多分、後者のほうが合っているのではないでしょうか。建築工学部教授は『建築は一つの国、その社会の文化あってこそのもの』とするなど、結構いいこと書いているのに(個人の受賞にすぎないという意見を述べる人も多い)、この部分はちょっと違うかな、と思いました。

 

ニュース1も、山本教授は「都市の膨張、人口減少と高齢化に伴う都市問題は、アジアをはじめ世界のすべての都市が抱えている共通の問題であるだけに、都市回復のために新しい都市構想が必要だと明らかにしている。山本理顕教授は、華やかな見た目の建築ではなく、「共同体」の概念を追求する社会的建築家だ。低出産・高齢化・人口減少など現代社会の問題を解決し、家族と個人が地域社会と繋がる共同体回復を哲学とする」としており、別に彼が華麗な外観の建築を目指していたわけではない、としています。以下、各紙から<<~>>で引用してみます。

 

<<・・最多受賞国家は日本だ。日本はこれまで9人の建築家が受賞の栄誉を抱いていた。続いて米国(8人)、英国(5人)、フランススペイン(4人)などの順だ。今年の受賞者も日本から輩出された。山本理顕がその主人公だ。彼が設計した建築物は韓国にもある・・(※いくつかのマンション団地などの紹介)・・彼の代表作の一つは広島の消防署だ。プリツカー賞審査委員会は「山本は調和のとれた社会を作るために公的領域と私的領域をつなぐ建築家であり社会運動家」と評価した。韓国はまだプリツカー賞受賞者がいない。政府は2019年プリツカー賞受賞プロジェクト「ネクスト・プリツカープロジェクト」を構想した。青年建築家30人を選抜し、海外設計事務所で先進設計技法を学べるように1人当たり最大3000万ウォンの研修費を支援する事業だった。これを置いて時代に合わない発想だとの批判を受けたりもした。一部では、韓国の公共建築慣行にも問題があるという指摘も出た。韓国の公共建築は価格競争力と華麗な外観に集中しているということだ。社会的に意味のある建築物のほとんどは公共建築だ(アジア経済)・・>>

 

で、外観・・というか、社会風潮より公共建築関連の長(区庁の場合は区庁長)の好みが優先されるという話もあります。これは3月6日、山本理顕教授がプリツカー賞を受賞したときの韓国経済の記事ですが、そのために建築家の設計が変更されたりする、とのことでして。 <<・・フリッツカー賞の受賞は、じれからもしばらくはできそうにないという評価だ。社会的に意味のある建築物の大部分は公共建築であるが、韓国の公共建築の慣行は混乱しているというのが国内・外の一貫した評価だ・・・・ある建築家は、「ソウルのある区役所の建築公募展に私の設計が当選したことがあるが、担当課長が『区庁長の好みに合わせて設計を変えてほしい』と言ってきて、わけがわからなかった」としながら、「政治家や地方自治体長の業績になれるように、見かけをかっこよくするとか、無条件に安く、素早く建ててほしいという要求が多い」と話した(韓国経済)・・>>

19日に、日本のバリアフリー化に関する内容を紹介しました。同じことかもしれません。記事は「高齢者のためのインフラ」としていましたが、それ『だけ』ではないでしょう。「人のため」を広く思って、長い時間をかけて、少しずつ社会レベルまで出来上がるものです。その「人のため」の「人」は、どっち方向なのか。自分のためか、自分を含めた大勢の人たちのためか(いわゆる「『公』の概念」)。そういう考え方も含めて。

 

 

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