責任は曖昧なほうがいい?

日本のコンビニでビールなどを買うと、モニターに「私は大人だお!」と(言う趣旨の)タッチする画面が出てきますね。

SBSの報道ですが、どうやら韓国にはそれが無いみたいです。

「1年前まで韓国で住んでいた人がこんな書き方するか」とツッコまれそうですが、コンビニでお酒を買ったことが・・あったかな無かったかな・・とにかく見た記憶はありません。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

記事は、韓国では客が酒を買うのが店員の責任みたいになっているけど(※コンビニに限った話ではありませんが、この前、似たようなことをエントリーしました)、

日本では、客が画面をタッチした瞬間から、その責任は「客」の分になる、としています。

http://v.media.daum.net/v/20180131090008529

 

何が言いたいのかというと、日本は韓国に比べて「責任」をはっきり分けている社会だ・・あれこれやろうとするとむしろ変な目で見られる、そんな趣旨の内容です。

どうでしょう。

コンビニの件は単純にインフラが無かったという見方もできますが、韓国社会が「責任を明確に分ける」ことを避けているのは間違いないと思います。

ほら、責任を明確に分けておくと、自分自身も何かの責任を明確に負うことになるじゃないですか。だから、曖昧な方を好むわけです。もし何かあっても、責任逃れや言い訳で、なんとか他人のせいになれるように。

逆に、他人のせいにできる案件なら、その「他人」の責任をあまりにもマニュアル通りに押し付けて、「なぜ責任を果たさなかったんだ」と徹底的に叩きます。

 

もし韓国で画面タッチで「大人ニダ」システムのインフラが構築されたとしても、酒を買う未成年は多いでしょうし、彼らはかならずこう言うでしょう。

「画面をタッチしてと言われてタッチしただけだ。私に責任は無い」

 

 

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