安倍元総理の国葬に関する、東京特派員の記事・・『日本の政治家とは、他の国ではなく日本国民のための存在だ』

昨日は、安倍晋三元総理の国葬でした。99%の韓国メディアは、『反対する主張が強かった』、または『賛否について日本社会が二分された』というふうに報道しています。個人的に、反対意見は確かにあったし、その表現の仕方が社会的に受け入れられるものなら、そういう意見があっても問題ない、むしろあるのが普通だと思っています。しかし、それが『半分』のニュアンスを持つ単語として大手メディアから報じられるほどのものだったのかは、疑問です。

そして、極めて一部ではありますが、日本にいる各メディアの特派員たちも、似たような疑問、またはある種の憂いを感じたようです。そういう『極めて一部』の記事、例えば朝鮮日報東亜日報の東京特派員が書いた記事となりますが、それらの趣旨は基本的に2つです。一つは、ずいぶん前から定説になっている「現在の両国関係は、一部の政治家の問題で、一般国民の意志ではない」「若い人たちの間では文化交流が旺盛だから、問題ない」とする考えが、あまり現実的ではないとする趣旨。そうですね、ちょっと引用してみます。以下、各紙、<<~>>が引用部分となります。

 

<<・・安倍晋三元首相の国葬が開かれた27日、武道館近くの公園には20、30代に見える若者が多かった。 ベビーカーに赤ちゃんを乗せたのお母さん、まだスーツ姿がぎこちない若い会社員、大きなバックパックを背負った学生さん、など。2ヶ月前の安倍元総理銃撃事の直後も、こんな感じだった。当時、家族葬が開かれた增上寺の人たちも、相当数は若者だった。断片的な印象ではない。朝日新聞が今月10、11日実施した世論調査で、安倍元首相の国葬に対し18~29歳の賛成率(58%)は70代以上(26%)の倍を超えた。賛成率が30%台の50、60代とも違った。 国長に対する批判世論が激しいが、若者は自民党政権の心強い支えだ。安倍元首相国葬に反対する人たちは、老年層がほとんどだった(東亜日報)・・>>

記事全体からすると、の若い層の安倍政権支持を『就職率が高かったから』とするなど、分析としては何か足りないというか、それとも書きたいことが書けない何かの理由でもあったのか、そんなところではあります。しかし、これでも各メディアの中では、『見方』としてずば抜けている類になります。他の記事がすべて『反対意見が~』とするものばかりですから。そして、もう一つの趣旨は、「私たちが思っている安倍元総理のイメージは、、日本においての安倍元総理のものとは違う」とする記事です。いまのところ、朝鮮日報からしか、この手の記事は確認できません。続けて引用してみます。

 

<<・・この日、東京の九段下には、一般人のための献花台が設けられた。黒スーツを着た20代男性から着物を着た70代の人まで、手には白い菊を持って、4キロを超える長い行列を作っていた。雑談の音すらも聞こえない、そんな行列だった。行列が通るある公園には、自動噴霧器が霧のような水を吹き出していたし、通り過ぎる人々は、避けるどころか、わざと献花する菊を噴霧器に近づけた。この日、2万3000人余りが献花した。伊藤博文が突然登場したのは、菅義偉元首相の弔辞の末尾だった。

菅元首相は「山県有朋が友人の伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌で、今、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」とし「かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」を良い上げた。葬儀場では、異例の拍手が起こった。最近の1、2カ月、東京を訪れた尹政権の政治家や官僚たちは、「文在寅(ムン・ジェイン)前政権とは異なる尹錫悦(ユンソンニョル)政権に、日本は好意的」「Kポップが好きな若者たちを見れば、何の心配もない」と誰もが話す。ごく少数の勢力だけが問題だ、というのだ。しかし、日本の政治家は韓国ではなく日本国民について責任を負う人たちのことだ。

日韓関係とは、相手の国と向き合い、各自の利得を最大化するために、駆け引きをするという意味である。日本の善意で得られるプレゼントのようなものではないのだ。安倍元首相の口癖は「世界の中心で日本を開花しよう」だった。普通の国家化という彼の信念は、相当数の国民の支持の中で、菅元首相など他に政治家に続くだろう・・・・伊藤博文と山県有朋の葬儀は1909年と1922年、国民の追悼の中で国葬として行われた。日本国民にとっては、彼らも日本のための政治家だったのだ(朝鮮日報)・・>>

 

同じく、もっと何か書きたいことがあったのではないか、な気もしますが。これでも、『若い人が~』という定説に反論を提起しただけでも、ものすごく異例な記事です。というか、選挙の結果で選ばれるのが政権ですから、年齢層の問題だけでもないでしょう。佐藤正久議員など3人の自民党議員が、鬱陵島視察のため訪韓したものの、入国できなかったことがあります。その際、3人はビビンバを注文して食べましたが、多くのメディアが『なんぜそんなメニューを選んだのか』を不思議に思い、記事にしました。明らかに韓国をき○うはずの人たちが、なんでビビンバを食べたのか。それがわからないというのです(※○は『ら』です)。2011年8月1日朝鮮日報も、『わけわからないチョイス』としながら、この件を報じました。

食べたければ食べればいいでしょう。それだけの話です。今回の、文化交流があるから何の問題もないという話は、その逆バージョンかもしれません。歌やドラマが好きだから、その『国』が好きにちがいない、と。それとこれとは別、見たければ見ればいいだけの話ではないか・・と思いますが。そんなに難しい話でしょうか。

 

 

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