エントリーを一つ非公開にした件について

いろいろあって、「乙と乙の戦い」エントリーを非公開にしました。

「一人の」ブロガーが書くブログ本文に、「大勢の」人たちが書いているコメントの方向性が完全に一致することはありえません。それをまったく無視すると独善になってしまうし、気にしすぎるといつのまにか迎合になってしまうから、難しいものですね。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

コメント欄が喧嘩になったときも同じで、ブログ主から見るとただ「困ったな」だけです。一人の個人として「どちらの意見に賛同するのか」はまた別です。ブログの管理者としては、ただ「困った」以外に感じることはそうありません。

旧ブログの時もありましたが、最近またちょくちょくとそんな流れが見られていましたので、もっとも最近のもの(乙乙)を非公開にしました。

消したわけではないので、しばらくしてから復活させるかもしれませんし、このまま忘れてしまうかもしれません。気に入らないという意見もあるでしょうけど、該当エントリーの非公開は決まった事ですので、覆すことはありません。ここは、「権限」ということで・・

 

ただ、さっそく「削除要請があったから消したのか?」というコメントもあるようですが、そうではなく、一つぐらい非公開にして、「ブログ主を含めた連帯責任」を示しておこうと思っていました。削除要請が無かったとしても、多分、今週中に一つ非公開にしたはずです。

なんで非公開が「ブログ主を含めての~」になるのかというと、ブロガーが書いた記事を一つ消すのはプライド的に傷つくことですし、わずかではありますがアドセンスなど広告収益も減ることになるからです。

敏感なテーマを扱うブログだけあって衝突も多いでしょうけど、嫌なこと言われて嫌なことで返したら、そこで終わりにしましょう。コメントのツリー表示を短くしたのもそのための趣旨です。

あと、本ブログではコメント欄に賛否を示すマーク(ポータルサイトのコメント欄にありますね。コメントに賛成・反対のボタンが付いているあれです)を設定していません。

コメント欄が必要以上に「ウリナム分け」されるのを防ぐためです。

 

自分なりに気を遣っているつもりですが、うまくいかないですね。

とにかく、気を取り直して、午後には次のエントリーまいります。

 

あ、次の本にはブログとコメント欄のことも書きます。良い思い出がいろいろありましたので。

(・∀・)ノ

 

208+

“エントリーを一つ非公開にした件について” への115件の返信

  1. ブログの運営も大変ですね。シンさんお察しします。
    ここは論客の方が多いので、いつも勉強させていただいております。
    私も別ブログで熱くなり、韓国面に堕ちてしまったなと反省した経験がありました。
    それ以来、一呼吸置いて投稿する様にしています。
    これを機に、より有意義で建設的な論戦が繰り広げられる事を期待しています。

    1. このブログの環境を我が家の如く一番享受してらっしゃるのはななしさんのように思えますが、まさかお仕事じゃないでしょうね?

  2. 長文注意です。

    関川夏央氏の「ソウルの練習問題」という、けっこう良い本が有ります。韓国人をコミュニケーションの対象として捉え、体験的理解を進めていく内容です。同様なアプローチで「デイープコリア」という魅力的な書籍も有りました。

    NHK が「冬のソナタ」を放映してから、「韓流」というコミュニケーションの理解のプロセスをすっ飛ばしたアプローチが生まれたと思います。
    あのドラマ、いい年した俳優が学生服とセーラー服着て、少女マンガみたいなオーバーなアクションをするのを見て、「引く」のが韓国内での普通の反応だったようです。日本で熱狂的人気が出ていると韓国の友人に話しても、理解が出来ないと困惑するばかりでした。

    さて、こういうSNSでは、違った形の「コミュニケーションの過程をすっ飛ばした理解」つまり、「自分の感覚的理解を絶対的信念の根源とし誇示する」発言が有りますね。

    韓流オバチャンで、
    「私は本当の韓国をとてもよく知っている。知らない他の日本人に教えてあげなくてはいけない!」
    という強固な自信を持った姿を想像していただけると理解しやすいと思います。

    過剰に闘争的なので、近づくと危険。

    コミュニケーションを目的としない多言の弊害がインターネット時代の害です。

    良策は誇示癖の人には注意して距離を置くこと。いきなり殴りかかってきたら隠れることですね。

  3. 今回、チョイト熱くなって、ある者(HN:七誌君)を特に批判した。

    何故か、

    ①彼が、昨年暮れごろから、以前のように、誰かれなく他者への「かみつき・絡み」が再開したように私には思えて、大変ウザイ・イラッとしたから。彼は1記事中にしょっちゅう登場して絡む(1記事中で「またか」と思う)。単に止めろと言ってもやめないだろうから。
    私のように1記事で大体1コメならば、長文であっても、嫌なら読み飛ばしてもらえばいいのだが。(スマホ&新ブログでは10件表示なので、長文もイラッとするのかな?)

    ②1月5日、彼が、天皇陛下に言及し、
    韓国・韓国人は「恨」があり、「選民思想」から、「天皇を裁いて吊るしたいのです」などと言い切ったこと。韓国人の一部とも言っていないし、「韓国は」と断定している。
    このコメントを読んだ限り、私には、彼は「天皇」「皇室」にリスペクトがあるように思えず、実は韓国・韓国人の名を借りて自己の思いを言ったのではないかなどと、心が曇っているので思った次第。英国民は、普段「王族」の悪口など言っているが、外国人にいわれたら反発するなどと聞いたことがある。

    私、普段特段に「陛下・皇室」をリスペクトしているとは言えないが、これは結構重く捉えた。1昨年あたりからのテレビ・新聞(毎日)の皇室放送の異常さとオーバーラップした次第。(ついに皇太子殿下を皇太子さまと言い出した、個人的にはかなり違和感あり)

    が…とりあえず、この件を持ち出すのは終了としたい。

    なお、私、2007年1月から殆ど記事・コメ欄を記録保存しているが、これはPGを作って全件保存しているのです。新ブログについては、今のところタイミングにより、全件ではないこともある。(何か、彼のコメだけ(批判・攻撃目的で)「手作業」で保存しているように思う者がいたので)

    1. 韓国人の考えを伝えただけなのに、リスペクトが感じられないとはどういう意味でしょう?韓国は日本をリスペクトなどしていないのだから当たり前ですよね。
      韓国だと断定している、、ってここは韓国についてのブログではないのか。韓国について知る為に来ているのではないか。何を穿っているのかよく分からない。
      逆にこれを書かれて都合が悪いのだなと捉えられると思いますが。内容は今更なものしかなかったと思うので。

      1. 何故、七誌にリスペクトが感じられないか。

        コメント内容から、全体からリスペクトなど感じられない。私には。

        陛下に対し「吊るしたい」のです。← 韓国・韓国人がこうだ。と言っているが、このように「吊るしたい」などスッと言えることに本性が表れている。
        日本人ならチョイトどころかまず言うに憚る気持ちが出てくる。たとえ韓国・韓国人がそう思っていると考えて言おうとしても。

        さらに、韓国・韓国人が一部ではなく、全てならば、その根拠を示さねばならない。断定しているのだから。

  4. そういえばブログを引越しされる前は熱くなりすぎた人達を隔離するための議論エントリーなんてのもありましたね。
    ルールや制限で状況は変わると思いますので、これが最善というやり方はないと思います。その時々でブログ主さん的に筋が通ると思うやり方をされれば良いのではないでしょうか。

    1. >ブログ主さん的に筋が通ると思うやり方

      それが一番悩ましい主題、主さんの主義人格能力、本人の全てに関わる事なのでございます。

      1. ここは個人のブログなのですから、公序良俗に反しない限り、どういう判断を下すのかは主の自由です。その時、その場面などによって判断基準が変わろうが、それはその時の主の立ち位置であり、責任であると思います。
        読者は感想を持ち、述べるのは自由ですが、批判、弾劾は出来ないと思います。

        1. 強いて言えば、このブログを通して、コメンターが批判、弾劾をできないかどうかが問題じゃないでしょ?

          シンシアリーさんがダブスタや偏向的な行動と受け止められかねない削除やブロッキングを行う事で、日本の読者層や支持層からのシンシアリーさんへの評価が低下する事が問題なのでしょう?

          ブログ主だから自由にしていいというのは、ブログ機能や権利の事であって、ブログ主は、どんな状況であれ閲覧者からの評価から自由にはなれないの。
          そうした時に、ブログ主は公表したルール内で権利行使する分には、不利益を被りにくくなる。
          実社会でも我々は自由だ。でも世間の評価からは決して自由ではない。それと同じ。彼が匿名(実名ではなくペンネーム)であっても、文筆活動で収入と滞在許可を得ているなら、自分の評価を落されない措置は講じた方がシンシアリーさん自身の利益を考えた場合に重要なのではないかね?

          各自、皆、シンシアリーさんの振る舞いを値踏みしてるんですよ。人格、知識、分析力、発想、、、とね。
          それはクレームやコメントに顕われて来なくても、ずっと続き、彼の未来に影響を与えていく。

          1. >ノブスケさん

            仰る通りです。

            権利と責任の話なのですが、とかく「権限があるのだから良いでしょう」と暗にシンシアリーさんに丸投げしてしまう。

            シンシアリーさんのブログなのだから、権限があるのも権限を行使したときに及ぶ責任もシンシアリーさんの判断しだいなのは当たり前です。ですが、コメンテーターは権利を全て放棄することでシンシアリーさんに責任を転嫁できてしまいます。

            本当に大事なのは、シンシアリーさんに責任を転嫁することではなく、それぞれが自由に書き込める空間を作るよう努力し、責任を分かち合わなければいけないのだと思うのです。

            シンシアリーさんは作家として日本にいるわけで、作家としての名声を落としたら日本にはいられなくなります。小さなコメントの一つ一つが彼の人生に影響しているのだということに責任を持つべきです。
             
             
            結局、重ねて書いたのにノブスケさんと言ってることは大して変わらない…まとめるのが下手なだけですね。
            失礼しましたw

          2. そう、それらは全て主さんの責任の元での結果になると申し上げています。

          3. 774466さんへ

            そう考えていると思いました。
            だからこそ、私はこう考えた。
            「自由勝手にして良い。」と、危険性を説明せずに奨めながら、
            シンシアリーさんが信用や評価を失った時に、
            「全部、予見できた事だし、自由に伴う自己責任だろ?」と言い放つのでは、
            罠に嵌めたのと同じになる。
            私はそう考えたのですよ。

            私の文章が長いのは、理解しやすくしたり、誤解を防ごうとするからです。

        2. >実社会でも我々は自由だ。でも世間の評価からは決して自由ではない。

          私は韓国問題が専らでこのブログに入ったのではありません。ブログ主のセンスと言うか人間的な雰囲気を説明できませんが、感じて吸い込まれたのです。
          彼の衣の陰にピストルとか何か怪訝な物を感じたら多分、すぐ離れるでしょう。
          例えば慶応大学にスーパーフリーというグループが有ったのですが、公序良俗どころか犯罪者に成るほどフリーで、学生が引き込まれたわけです。まー、リーダーが下衆でそれが見抜けず、同じ下衆根性が集まったと言えばそうなんですけど。

          つまり、ブログ主とは有料だとか規則とかである程度規制は出来るのでしょうけど、この規制は当然、自由を制限する柵ですから各人の未知の世界が期待できないのですよね。

          微妙なさじ加減はブログ主の人格、信用にまで及ぶわけですよね。だから、規則と権限と気楽に言えないのです。
          じゃ、好き好んでやる人はいないよと希望の無い事は言わないでください。

          1. ノブスケさんと全く同じ意味を言ってるつもり、読み返してノブスケさん文章素晴らしいですよ。
            コメントのキャッチボールは学問的な空中戦となると私は追いつけませんし、決着がつかないのは当然だと思います。
            学問的な考察も興味が在りますが、韓問題についてはやはりエビデンスと迄言わなくても歴史的事実とか現実問題と繋ぎ合わせて想像できるような議論のほうが解りやすいと思うのですが。

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