韓国大統領室「重要なのは、日本の心だ」・・いつにも増して曖昧なコメント、その意味は

15日にもお伝えしましたが、光復節演説でユン大統領は日本についてほとんど言及しませんでした。そのことで、多くのメディアが疑問を提起しています。韓国の公営放送KBSとのインタビューでの発言ですが、大統領室のキムテヒョ国家安保室第1次長が、そのことで『重要なのは日本の心』と話しました。政府の人が言うにはあまりに曖昧な発言で、ソース記事のハンギョレ新聞の書き方の問題なのかなと思いましたが、他の記事にも同じことが載っています。どうしてここで心という言葉が出てきたのか、ちょっとまとめてみます。

先も書きましたが、大統領の演説が問題になっていることで、KBS側がこう聞きました。『日本に言うべきことが言えないでいるのではないか、という指摘が出ていますが』と。それに対する安保室次長が話した内容をまとめると、こうなります。「日本が言うべきことに対して目をそらすなら強いスタンスを取るが、いま岸田総理とユン大統領は強い信頼関係で結ばれている(だから強いスタンスを取る必要はない、という趣旨)」、「無理して言わせたところで何の意味があるのか。重要なのは日本の心であり、それこそが本物だ(原文では『真正さがある』)」、「私たちは経済成長において中進国の罠にひっかからなかった唯一の国で、まさにスパースター。もう自信をもってもいいではないか」、など。

 

一つ前のエントリーで取り上げましたが、新任金融委員長が(記事時点からして)約10日前に『債務中心の経済をなんとかしなけてばならない』と話したことを考えると、スーパースターという言葉も実に印象的すぎますが・・本題は『心』です。すなわち、これは韓国側が『言うべきことが言えないでいる』のではなく、日本が自発的に『言うべきことを言う』ようにするためのプロセスである、というのでしょう。まず、『すでに済んだ問題ですよ』と言ったなら個人的に評価できますがそうでもなかった(誰が大統領になっても言えそうにない)時点で、これまでと根本的なことは何も変わっていないという点。これからさらにもらうことを前提にしている点。これがもっとも重要な側面でしょう。

 

他に、副次的なものではありますが、個人的に、2つの見方ができると思います。一つは、何をどう話でも効果が期待できそうにない場面なので、できる限り曖昧な言葉を使うことで、ある種の『その場しのぎ』をしたという見方。ユン大統領の『心』はどうであれ、大統領の立場としてもうこれ以上この件について話したくないのに、だからといって何も言わないわけにもいかない、そんな苦心の跡である、という見方です。これはこれで、無くはないだろうとも思っていますが、本題はこちらではありません。もう一つの見方、それは、『やはり、教化のことしか考えていない』ということです。教化については、前にも何度か取り上げたことがあります。

 

教化とは、正しいことを教え、正しい道へ導くという意味ですが、ちょっと現実ではそうではありません。朝鮮半島の朱子学において、この教化は『徳治を合理化するための名分』になってしまった、とでもいいましょうか。「徳のある人が言うことは正しいから、そうでない人は、徳がある人が教えると、感動して(感化して)、そのとおりにする」が、現実世界でうまくいくはずがありません。韓国にも『あなたに私の何がわかりますか』という表現があります(多分、日本語由来だと思われますが確証はありません)が、人それぞれだし、言われたとおりにして万事うまくいくなら法律というのも必要ないでしょう。

だから、結果的には、「私が言うことを聞かないのは、すなわち別の意見を出すのは、『正しくない』ことだ」という展開になってしまいます。いまでも北朝鮮では、言うことを聞かない人たちを再教育するところ『教化所』と言います。そこに収容された人たちがどんなことをされているのか、想像にかたくありません。前にも紹介した記事ですが、2019年3月25日中央日報の記事に、アメリカの外交官たちの話を伝えるもので、「韓国の外交官たちは、私たちに(どうするのが正しいのかを)『教えようとする』。日本の外交官たちはそうではない」という内容が載っています。この記事の日本語版、「教える」の部分が、「教化しようとする」になっています。教化という言葉、日本ではあまり目にしないので、そういう側面だと評価も変わるでしょうけど、意味的にはピッタリです。

 

同じシチュエーションが、日韓関係でよく現れているのは、言うまでもないでしょう。いままでもそうですが、これからも、多分そう続くのではないか・・そんなところです。大統領室の人が、どういう意図があって『心』という心ない言葉を使ったのかはわかりません。ただ、どうしても私はこの『教化』という言葉を連想してしまいました。私の心が曇っているから、でしょうか。 最後に、お礼を申し上げなくてはならないことがもう一つあります。詳しい日付がわからないので合わせてお伝えすることになりましたが、レナ10歳と同時に、本ブログも15周年となりました

コメント欄に「じゃブログも10年になるのでしょうか」というコメントがあったので「あ、そういえば」と調べてみたら、15周年でした。すみません。気づきませんでした。旧ブログ(アメブロ)にザ・ニューコリアの翻訳を載せていたのが2009年なので・・その前からアメブロにブログは持っていましたので『約』ですが、約15周年です。いろいろありましたが、おかげさまでここまで来ることが出来ました。とりあえず、次は20周年感謝のメッセージが出せるよう、頑張ります。ありがとうございます。

 

 

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