本ブログでも2回(だったかな?)取り上げた、李在明大統領の「突然の」イスラエル関連発言。2年前に公開され、イスラエル側も問題だと認めた映像を取り上げて、「普遍的人権」を言い出しました。イスラエル政府から公式の抗議があって、国内でも「このタイミングで、なんでこんなことを」と、野党側を中心に批判がありましたが・・李在明大統領及び与党側の人たちは、「普遍的人権に関する問題提起をしただけだ」という一点張り状態です。前にも朝鮮日報の記事などを引用しながら同じ趣旨の文章を書いた記憶がありますが、確かにイスラエル関連問題に対する人権問題の提起なら、それ自体はいいでしょう。しかし、批判の中心は、「政治的なものではないのか」、「なんで北朝鮮や中国関連の人権問題には何も言わないのか」というものでした。
にもかかわらず、李大統領も与党側も、「普(中略)なのに何が問題だと言うのか」と、そればかりです。問題提起の中心内容をを曖昧にし、自分たちに有利なことを『正義』として述べるだけで、それ以外の見方を認めようとしない・・日韓関係でも何度も目にしてきた、そんな展開になっているわけです。そんな中、デイリアンというメディア(16日)、ある大学教授の寄稿した内容が、全文そのままとはいいませんが、部分的には的を射ている、そんな内容でした。こちらを引用してみます。「SNSは削除できるけど、外交は削除できない」という内容です。あくまで「見方による、状況による、そしてなにより、人による」といったところですが、SNSは政治の敷居を下げてくれましたが(これは大きな発展に繋がると私は思っています)、「重さ」を背負う人であればあるほど、事前に多くの人と相談したり、いわば「敷居が低いからこその慎重さ」が必要でしょう。記事の全ての文章に同意するわけではありませんが、確かにそういう側面は大事でしょう。以下、<<~>>が引用部分です。
<<・・(※SNSで政治発言の敷居が低くなったとはいえ、大統領が軽く投稿していいものではない、という話として)「バルーン型リーダーシップ」だ。軽く浮かぶが、方向は風に任せられる。懸念されるのは、国政の方法までもがこうなっているという点だ。最近の李在明大統領のSNSはその断面を見せてくれる。国家的事案が、熟考されての結果ではなく、投稿の形で先に登場してしまう。イスラエルをめぐる論争もそうだった。大統領は、SNSを通じてイスラエルの問題を強く批判した。その後、イスラエル側が即座に反論に出た。これに再反論が繰り返し、論争は単なる意見表明を超えて、外交的緊張にまで広がった。外交的事案に対する判断と価値規定、そして国内政治的メッセージが、一つの空間で同時に発火したのだ。
外交が、調律ではなく投稿から始まる仕組みだ。外交は、単語の一つで関係を作ったり、バランスを崩したりする。大統領が軽く投げた文章は、国家が重く負担しなければならないものだ。国政は風船ではない。軽く浮かせるだけでは、遠くまで行けるはずもなく、方向を失う。国内政策も変わらない・・・・政策が、説明される前にすでに消費されてしまっているのだ。外交では、その危険がより鮮明である。カンボジアの問題に関して、大統領はメッセージをSNSに投稿した。「韓国人に手を出せばただでは済ませないぞ」と、現地語(クメール語)で。「すっきりした」と言われたかったのだろうけど、結果は違った。カンボジア政府は直ちに抗議し、外交的な問題になった。投稿は削除されたが、外交は削除されない。
大統領のSNSは、個人の意見ではない。一般人の文は見解として残るが、大統領の文章は「権力の立場」として読まれる。この「重さ」の違いを忘れると、国政は戦略ではなく、瞬間として揺れる。李大統領がこれを知らないわけではないだろう。それでも繰り返されるSNS政治は、「軽さ」と共に読まれる。大統領はすなわち国家であるという事実を忘れているのではないか、と問いたい。私たちに直面した「現在」がどれほど特殊なのか。あえて「普遍的価値」論争を引き出す余裕などない。普遍的ならみんなが知っているからだ。普遍的なのは普遍的な人々の間の論争に任せればよい。大統領は、普遍的な価値ではなく、現在の特殊な状況において、大韓民国の利益のための方法を探すための職務だ。だからこそ、その判断はより慎重でなければならず、より洗練されなければならない。
普遍的な対処では、特別な突破口を見つけることができない。私は、普遍的な価値を重視する大統領として、北朝鮮や中国などの人権について言及しないのは、「特殊な遠慮」があるからだと考えている。今回のイスラエル関連も、普遍的常識に対する表明とはいえ、実際、裏面には、言えない国際情勢に対する高度な戦略が隠れていると信じたい。なぜなら、大統領という大韓民国の運命を背負った特別な存在に、あえてゆっくりまったり普遍的価値を述べる時間があるはずがないからだ・・・・SNS国政は素早く、短く、浅い。メッセージが先に出て、それから現実が続く。民主主義は、遅いシステムだ。衝突し、熟考され、それから結論に達する。しかし、SNSは、待たない。反応を要求し、すぐに消費する。国政は刹那の瞬発力で成し遂げられるパフォーマンスではない。権力の指先に載せられた重さは、国家の運命である。「削除できない」国政運営を望むのは、高望みだろうか(デイリアン)・・>>
ここからはいつもの告知ですが、新刊のご紹介です。いつも、ありがとうございます。今回は、<韓国リベラルの暴走>という、李在明政権関連の本です。新政権での日韓関係について、私が思っていること、彼がいつもつけている国旗バッジの意味、韓国にとっての左派という存在、などなどを、自分自身に率直に書きました。リンクなどは以下のお知らせにございます。
・皆様のおかげで、こうして拙著のご紹介ができること、本当に誇りに思います。ありがとうございます。まず、最新刊(2025年8月30日)<韓国リベラルの暴走>です。韓国新政権のこと、日韓関係のこと、韓国において左派という存在について、などなどに関する本です。・準新刊は<THE NEW KOREA>(2025年3月2日)です。1920年代、朝鮮半島で行われた大規模な社会・経済改革の記録です。原書は1926年のものです。・既刊、<自民党と韓国>なども発売中です。岸田政権と尹政権から、関係改善という言葉が「すべての前提」になっています。本当にそうなのか、それでいいのか。そういう考察の本です。・詳しい説明は、固定エントリーをお読みください。・本当にありがとうございます。