韓国専門家が見た、貧しい人たちのブランド品消費・・「自分の所得に合わせた消費をしなさいと言うのは、頑張れば豊かになれる世界でしか通用しません」

2回、『家計債務世界1位なのに、高級ブランド品消費も世界1位』に関してエントリーしました。今回が3回目となります。一部メディアの独自分析だと、そういうのは特に青年世代で強く、だからこそ、某ガンダムアニメじゃないけど「やめなさい」という意見がほとんどでした。それはそうなるでしょう。ただ、極めて珍しく、「それはそうだけど、もうそんなことが言える状況でもない」という反論記事がありました。京郷新聞、政治経済学者ホンギビン氏の主張です。決してブランド品消費を擁護するわけではなく、「そんな道徳的な教え(自分の所得レベルに合った消費)は、頑張れば豊かになれる社会でしか通用しない」というのが理由です。

GDPが~という話が多い昨今、こういう論調の記事、久しぶりに見た気もします。いつもそうですが部分引用になるので分かりづらいですが、記事は「道徳的な教え」が間違っているという趣旨ではありません。それが通用しなくなってしまったという、悲しさ漂う論調です。記事は、人が決まったことをして決まった賃金をもらう『労働』として生きることと、それ以外の様々な要素まで含めての『(人的)資本』として生きることがあるとします。前者は保守的な概念で、後者は後から出てきた概念だけど、最近はやり過ぎになってしまった、と。

 

たとえば、整形手術(美容外科手術)を受けること、外国旅行(記事には書いてありませんが、日本旅行のことかも?)に行ってくることなども、全てが韓国社会の青年たちにとっては『自分という資本の価値』として認識されるようになってしまった、というのです。労働の一部という考えは、もう無くなっている、と。「疲れる」という言葉を連続で出しているのもそうですが・・なんというか。せつない話です。以下、<<~>>が引用部分となります。

<<・・整形手術は?外国旅行は?・・・・高級スーツは?自分の『クラス』を見せるためにSNSに載せる写真の生産コストは?それらは「人的資本の魅力」であり、「ネットワークの魔力」だ。「知識資本主義」と「ネットワーク資本主義」を生きる青年世代は、今は、日常が自分の「資本形成」のきっかけだというストレスを生きていかなければならず、そこに役立つものなら、借金してでもやる、という状況になっている。所得に合わせて、自分のレベルに合った消費をしなさい、分別ある経済生活をしなさい、そう言うのは簡単だ。しかし、消費と投資の区分すらできなくなった彼ら「人的資本」世代に、そのようなことが可能だろうか。

 

そんな人生を生きなければいいじゃないだろうか。ただ素直に働いて、そうやって得られる所得に合わせて生活を送っていく、伝統的な経済倫理に合った生活を送ればいいじゃないだろうか。言い換えれば、あえて自らを「人的資本」にするためにそんな疲れたことをせず、ただ「労働」で生きていけばいいじゃないだろうか。しかし、私は彼らにそう言うことが出来ない。「労働」に分類された青年たちが、いま受けている月所得と、10年、20年が過ぎてもその金額が大して変わらないことを知っているので、言えない。

先日、「三百虫」という新造語を聞いた。月300万ウォン以下の雇用で経済生活を始めてしまえば、いくら一生懸命頑張っても、絶対に月300万ウォンという所得ラインを超えることができないという意味だ。「労働」青年たちがよく使う用語だと聞く。私は今まで観察し、推測している内容と、ほぼ同じ数値だった。さらに、私が記憶する限りだと、2005年頃とその金額が変わっていない。

 

「労働」になって「三百虫」の人生を生きるか、それとも「人的資本」になって自分の「資本価値」を引き上げるために「消費」なのか「投資」なのか区別もできない人生を、十数年 運用するか。本当に疲れる世界、疲れる人生だ。ここに結婚して子供でも生まれると、「子会社(※その子)」の価値と、そこへの投資まで気にしなければならない、計算すらできそうにないリスク満タンの状況になってしまう。これといって対策も出せない。だから、青年層の債務が増える現象を見ながら、道徳的な教えを言いたくはない。そんな話は、「汗を流して稼いだお金でも、豊かな人生が築ける」世界しか通用しないものだ(京郷新聞)・・>>

珍しい意見だとは思いますが、記事で言う人的資本という概念が、『他人に見せるためのもの』に限られている気がします。実際に役に立つもの(英語が必要な職業を目指す人が、英語勉強に金を使う、など)に投資するというのもあるでしょう。でも、そんなものより『実際(現実)より良い自分に見せたい』とするから問題なのでは。労働というか、素直に仕事をして、節約して、自分の趣味にお金を使うというのも、人生においては立派な資本(無形)であり投資のはずです。ただ、他人に見せるのではなく、自分で自分に見せるためのもの、いわゆる自分へのご褒美のようなものとして。

 

いつだったか、日本には様々な趣味文化が存在しており、部活、オタク文化、などなど様々な形で支えられていると書いたことがあります。韓国の場合部活はあまり活性化されておらず、趣味文化も、一つが長続きしないので、『根を下ろす』のが難しい、と。それもまた、自分ではなく他人を気にしすぎるからではないでしょうか。いつだったか、日本で某有名映画の続編が1位ではなかったという理由で(1位はアニメでした)、「こんなの先進国ではない」とする記事を見たことがあります。さぁ、そういうのも同じ心理ではないでしょうか。結局は、方向性というか、その場所を生きる人たちの『価値観』の問題である、と。社会が価値観を作る以前に、価値観が社会を作ったのでしょう。順位上げに金を使うから疲れるわけで、問題にもなるわけです。何が『楽』しいのでしょうか。というか、その渦巻きの『中』にいると、なかなか気づけないのも事実ですが。

 

 

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