韓国保守系ネットメディア、処理水の安全性を主張し「有名人の発言という理由だけで科学の領域でここまで話題になるのは、大きな問題だ」

一つ一つ、「処理水放流は安全です」というデータが揃いつつあります。風評被害対策として、少しでもこういうデータが広がってくれることを願ってやみません。さて、本ブログでも何度か取り上げましたが、ほぼ唯一、いやひょっとすると唯一かもしれませんが・・科学の立場から、日本側のデータを信じ、科学を信じようと主張し続ける韓国のメディアがあります。「ペンアンドマイク」というネットメディアです。今までも、このサイトの記事や寄稿文などをチェックしてきました。それらの趣旨の全てに同意するわけではありませんでしたが、「せめて、このペンアンドマイクの主張がもう少し大勢の人に読まれたらいいのに」と何度も思いました。ちなみに、失礼ですが、決して大手とは言えません。

今回の処理水海洋放流において、今まで以上にこのペンアンドマイクだけが、あまりにも苦戦奮闘しています。昨日も、なぜ科学の領域に芸能人の意見がここまで大きな話題と同意を呼ぶのか、という記事を載せました。私はそっち分野にはあまり興味が無いので聞いたことありませんが、某バンドの人(歌手?)が、ブレードランナーなどを取り出して、放射能の雨が降るかもしれないとか、とんでもない『怪談』を広げました。この内容に同調する人も多く、ペンアンドマイクが「芸能人の発言だから問題ないという人もいるけど、単に有名人という理由だけでその発言が科学の領域で専横するとは、これはあまりにも大きな問題ではないのか」という記事を載せたわけです。以下、<<~>>で引用してみます。

 

<<・・問題は、この発言が何ら科学的根拠がないにもかかわらず、有名人という理由一つだけで大きな話題になっている点にある。放流結果について十分に勉強できず、無知な状態にある限り、芸能人が個人的感情あるいは政治的な理由で出した言葉に、社会そのものが騒がれているのだ。放流されるとしても、(※ブレードランナーのように)LAやソウルにそんな雨が降るなどの科学的予測は出たことがない。放流に反対する陣営でも、そんな内容は言ったことがない。そんなことを言ったら、その瞬間「あ、無知な人だ」と明らかになってしまうからだ・・

 

・・歌手が、伝統的な意味の知識を持つ必要はないだろう。適当に無知を語っても、むしろ『受ける』こともある。しかし、本件への見解の表明はそうではない。いくら芸能人としても、客観的常識と科学的根拠を持って発言をしなければならない。大衆の関心が大きいほど、相応の社会的責任も考えなければならないのだ・・・・最も深刻な問題は、今回の発言とこれをめぐる論争で、私たちが「非科学的な社会」であることが立証されているという事実である・・・・(※一昨日、今朝など本ブログでも取り上げた、各種データの話のあとに)・・しかし、本人もファンも、東京電力が公開するデータについて一言も言及していない。これは、彼らの発言と論争が「事実」ではなく「想像力」あるいは「政治的判断」に基づいていることを意味する(ペンアンドマイク)・・>>

 

記事は一貫して、「私たちの社会は、本当にこのままでいいのか」という趣旨を書いています。芸能人だからといって、社会的なイシューに意見を出すのは別に構わないでしょう。しかし、本文にもありますが、「責任感」というものだけは常に考えていてほしい、と思います。『プロ』というのは、自分の領域がどこからどこまでなのかを知っているという意味でもあります。この発言をした歌手(?)の場合、中学校のときに学んだことを根拠にしているようですが、それすらも合ってない、とのことでして。

 

最後に、ソース記事のコメント欄に、「小説家が、リアルにこだわり過ぎると、小説も長く続かなくなる」という話がありました。小説家が勝負すべき領域はあくまで小説であり、それはリアルの世界ではない、と。似たような感覚を・・似たような、と言っていいかな・・私も感じたことがあります。いつだったか、某大手アニメスタジオが、原発ゼロ支持趣旨のプラカードを掲げたことがあります。それが、彼らの理想にどれだけプラスになったかは分かりませんが、私の中では逆効果でした。私はそれまで、もののけ姫や風の谷のナウシカなど、そのスタジオの作品に描かれてきた「自然」のイメージに感嘆に近い敬意を払っていました。趣旨的に私と合わない部分もありましたが、それらは本当にかっこよく、素晴らしいものでしたから。私と合わない部分があるという部分まで全部含めて、それでも、素晴らしいものでした。

でも、そのプラカードの自然愛アピールの中には、かっこよさも素晴らしさも、どこにもありませんでした。そこらへんの市民団体でも普通にできる、そんなやり方でした。そう、そのプラカードは『彼らに活躍してほしい領域』ではなかったわけです。当時、彼らの描く自然のイメージのかなりの部分が、私の中から評価下げされました。「それまでどおり、アニメの中で、彼らだけのやり方で語ってくれたらよかったのに」と、今でも思っています。一応、最近も映画館に行ったりブルーレイ買ったり、応援はしていますけど。いや、これは、ソース記事の件に比べると、ずっとマシな件だとは思いますが。

 

 

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